Tetsuki Nakakura
人に話したくなるマニアックな銀座の話(前編)
こんにちは。TNDE代表の中倉徹紀です。 今日は「人に話したくなるマニアックな銀座の話」というテーマで、銀座の街並みを、その歴史や法制度からひも解いてみたいとい思います。 まず、私の後ろにある、銀座中央通り全体を眺めてみましょう。 この連続立面写真は、私が2020年の元旦1月1日に、街路景観の研究用に撮影していた500枚弱の写真データを地道につなぎ合わせ、横100,000pixelという巨大なパノラマ写真に合成したものです。 こうして全体を見てみると、左手の銀座1丁目から、右手の銀座8丁目まで、大小・新旧様々な建物が、その優美さを競うように建ち並び、賑やかな目抜き通りを形成していることがよく分かります。さらに建物一つ一つの様子を見てみると、建物の間口は、わずか5,6mのものから、GSIXのように街区丸ごと100mを超えるものまで、多岐にわたる一方、建物の高さは、いくつか離散的な値でそれぞれ妙に揃っているような感じもします。 今日は、この不思議な魅力を持つ銀座の街の秘密について、皆さんと一緒に解き明かして行きたいと思います。 江戸時代、銀座一帯は、町人地でした。長屋形式の町割りで、1辺120m×120mの正方形の街区が形成されていました。この基本街区構成は、現在でも残っていて地図上ではこちらの部分になります。 この町人地に大きな変革をもたらしたのは明治5(1872)年4月3日の銀座大火でした。銀座一帯が焼け野原になってしまったものの、2日後には道路改正が内定し、4日後には煉瓦化・不燃化が決定されます。そして、6日目にはそれが布告される、という驚異のスピードで復興がなされます。東海道である銀座中央通りは、従来の7、8 間の幅員からから倍の15 間(=約27m)の幅に拡幅され、その他の通りも同様に整備が進み、おおむね現在の街区の骨格が出来上がりました。 ちなみに銀座煉瓦街の建設を指導した人物は、お雇い外国人であったトーマス・ジェームズ・ウォートルス(Thomas James Waters)という建築家(土木技術者)で、日本の近代建築史の中ではジョサイア・コンドル(Josiah Conder)と並んでよく出てくる名前ですので、耳にしたことがある方も多いと思います。 その後、建築技術の発達によって、日本でも、より高い建物が建設可能になってくるのですけれども、大正8(1919)年、ベルサイユ条約の調印と同じ年ですかね、その年に、『市街地建築物法』という法律が公布され、建築物の最高の高さが百尺(31 メートル)に制限されました。結果、銀座には、31mの高さの建物が建ち並ぶということになります。 この百尺(31 メートル)という高さがどれぐらいの高さかというと、東京駅前の新旧の丸ビルやKITTEなど昔のスカイラインを残したデザインの建物の低層の部分の高さがちょうど31mです。 この31mの高さ規制というのは、第二次世界大戦後まで続きますが、隣地との間隔を開けずに敷地目一杯に31mの高さMax建てるというのは、住環境を悪化させますし、建築技術的には31mよりもさらに高い建物が建てられるようになってきている、という実情ともそぐわなくなってきます。 そこで、昭和38(1963)年、建築基準法が改正されまして、従来の絶対高さの規制から、容積率の規制、すなわち、敷地全体の面積に対して、延べ床面積の合計がどのくらいまで建てられるか、という制限に切り替わります。 しかし、銀座地区の場合、この新しい規制に従うと、それまで敷地目一杯、31mの高さまで 建てていた時に比べて、少ない床面積しか建てられないということになり、銀座では軒並み、「既存不適格建築物」として現状を維持するという選択をします。つまり、新基準のもとで建物を建て替えると床面積が減ってしまうので、建物が老朽化して建て替えたくても建て替えられないという状況が続くわけです。 そして、容積率規制導入の35年後、平成10(1998)年、ついに地区計画、通称「銀座ルール」が導入されます。中央区が銀座通連合会と議論を重ね、地区計画を定め、商業や住宅など、地域の特性を活かした賑わいを生むような施設を一定以上入れること、というのを条件に、容積率を最大300%緩和し、道路幅員に応じて56m、48m、40m、32mというふうに、段階的に最高高さを制限する、いわば例外措置を設けたわけです。 この「銀座ルール」の適用第一号は、スペインの建築家リカルド・ボフィルによって設計された、東京銀座資生堂ビルです。その上品で赤い外観は、銀座のランドマークの一つとなっていますよね。ちなみに、5軒隣の銀座GREENですとか、3丁目のシャネルのビルなんかも、同時期に建てられているので、高さは56mとなっています ここで、お気づきの方もいるかもしれませんが、「カルティエはシャネルより高いじゃないか!」とか「MIKIMOTOですとかYAMAHAのビルもなんかちょっと高いぞ!?」というツッコミが入るかもしれません。これは、平成18(2006)年の地区計画改定によって、屋上工作物の高さを建築物+10mとする基準が明確化されたことによるものです。屋上の設備機器を隠して、また、建物をより立派に見せるため、ファサードと同じような外観で囲っていますが、あくまで屋上工作物という扱いです。その証拠に、よく見ると56mまでの建物部分とそれ以上の屋上工作物の部分で切れ目があります。 ちなみに、地区計画の内容・ルールについては、常に活発な議論がなされており、近年では、2019年の7月にホテル需要の高まりを受けて、ホテル用途に対する容積緩和規定を設けたり、中央区銀座地区の定住人口の回復を見て、住宅用途に対する容積率緩和を廃止したりしています。 地区計画というと、硬く聞こえるかもしれませんが、基準法と実情の中で、折り合いを見つけながら街をよりよく更新していこうという、たゆまぬ努力の積み重ねだと思うと、この銀座の街並みというのもより一層味わい深く感じられるのではないでしょうか。 後半では、もう少し、さらにマニアックな話をしてみたいと思います どうぞお楽しみに!
<参考文献>
銀座街づくり会議・銀座デザイン協議会HP
東京都都市整備局HP
中央区HP
建築基準法/建築申請memo
まち歩きマップメーカー (by Open Street Map)
東京都立図書館デジタルアーカイブ
国税庁HP
銀座文化研究別冊